病気 (TB)

1930年頃着亜した無数の日本人移民が肺結核に犯された。そのため、コルドバ州コスキンに療養所が設置された。
後年、在亜日本人会が経営するようになった。1962年に結核患者の減少で療養所は閉鎖された。
Dr.アルマンド・シマ博士(アルゼンチン人)は、エル オガル ハポネス(コスキン療養所)で数年の間、
無料で奉仕して下され、深く感謝されている。
原清利美も肺結核に犯され、当療養所に4ヶ月間入院した。
1936年 コスキン市の入院患者を訪問


1936年コルドバ州コスキン市肺結核で入院し
ていた大城吉義氏(国頭村出身写真左)をサ
ンタマリア診療所に訪問した上原清利美
(25歳前座先)大城氏はコルドバ市で最初の
日本語教師であった。

1936年コルドバ州コスキン市肺結核で入院し
ていた大城吉義氏(国頭村出身写真左)をサ
ンタマリア診療所に訪問した上原清利美
(25歳前座先)大城氏はコルドバ市で最初の
日本語教師であった。

1940年、エル オガール ハポネス(コスキン療養所)にて。
療養所所長山崎忠直氏と梶田修一氏(前列、左から二人目)
同伴で、谷力牧師(中央)の訪問を受ける。
上原清利美29歳。
入所患者達と共に記念写真におさまる。

1940年、コスキン療養所にて。
多くの日本人が肺結核に犯され、その為、当エル
オガール ハポネスが設置された。
向かって左:上原清利美29歳、当所に4ヶ月間入院。

1940年コスキン河畔にて、古波蔵森腎(前列左端)、
上原清利美(後列右側)。
不治の病といわれていた肺結核を克服して退所を喜びつつ。

1936年コルドバ市大城吉義氏と上原清利美(右25歳)。
コルドバ大学農学部の門にて。
この学部はサルミエント公園内にあった。
大城氏は病気を克服し、
再び日本語教師として教鞭をとり始めた。

1940年、コスキン療養所の前で。
上原清利美 (29歳、前列左から二人目)、
退所を祝って記念撮影。
これを機会に家族と共に新しい人生が始まった。

1940年コルドバ州のコスキン橋畔にて。
療友古波蔵森智氏と上原清利美(29歳右)、
二人とも肺結核を克服し、全快を祝い退療を前に記念撮影。

 

1940年、コルドバ市 
山岸しさこ氏のレストランにて。
上原清利美の退所祝い及び家族と
共に新天地ミナ クラベロ市へ移転の送別会。

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