入国 結論
九人の兄弟姉妹中7人が亜国に移住し、長男はブラジルに移住。唯一長女だけが沖縄に残った。
兄弟姉妹の名前 |
生年月日 |
在住国 |
移住順番号および 亜入国年月日 |
呼び寄せ人 |
Uehara Torao |
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Brasil |
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Uehara Matsu |
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Jap�n |
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Uehara Kiyomasa |
04/11/1902 |
Argentina |
5/11/1922 |
Torao a Brasil pero vino a la Argentina |
Uehara Kiyoji |
| Argentina |
11/05/1927 |
Kiyomasa de C�rdoba |
Uehara Seizen |
07/08/1907 |
Argentina |
21/01/1927 |
Kiyomasa de C�rdoba |
Uehara Kiyotomi |
25/03/1911 |
Argentina |
06/05/1930 |
Kiyomasa de C�rdoba |
Uehara Nabe de Shokida |
05/01/1914 |
Argentina |
15/10/1950 |
Guensuke Shokida, Su marido |
Uehara Seitake |
17/07/1916 |
Argentina |
03/03/1937 |
Kiyomasa de C�rdoba |
Uehara Kiku de Tamashiro |
10/02/1920 |
Argentina |
26/06/1940 |
Guen-ei Tamashiro, Su marido |
長女上原マツもアルゼンチンへ行きたかったが、兄弟が皆行った後で行かせてあげる・と父は約束してくれた。しかし、
そうこうしているうちに、マツは結婚した。後日マツが語ってくれた思い出話として、
一人の兄弟がアメリカへ行く船に乗るため港へ行く途中、彼とマツは話し合い、「船が島を通るとき、
マツは父清七の山の上で焚き火をたくので、島側の甲板にいてそれを見なさい。」とそのように見送る中、
船が遠くを通っていくのが見えたと。
土地は大勢の人が住める程あり、物は豊富に栽培され、また戦争というものよりほど遠く、
人々は平和に暮らしている南米を高く評価した祖父上原清七に感謝します。
家族とともに、生きていく為に、種々の仕事に従事し、さらに自分の興味あるもの、
例えばスポーツ、音楽、また新聞記者としての執筆活動などにも努力しながら生きてきた父上原清利美に感謝します。
また今尚衰えない彼の優れた記憶力によりこの「一家族のアルバムを通して沖縄移民の歴史」が完成できる。
それを皆に紹介できるというのことは、大変興味深いことと思います。なぜなら、一人の小さな家族の世界と沖縄より
亜国に移民した多くの家族の歴史とかが大なり小なり一致するからです。
またアルゼンチンは沖縄移民を寛大にあたたかく包み、差別なく受け入れてくれました。
そのアルゼンチンは私が生まれ育ち、私という人間が形成されそして私の愛情がこもる国です。
さらに自分の活動が展開できるというこの国、アルゼンチンに感謝します。
T上原(与那嶺)孝 2004年11月22日 死去。
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上原エレナ 2005
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