本において

沖縄県人ならびにその子孫は、在亜日本人移民の70%を占めている。2008年には沖縄県人アルゼンチン移住
100周年記念を催す予定である。
沖縄県は日本列島の南西に位置し、亜熱帯地域である、珊瑚礁と紺碧の海に囲まれている。また今帰仁村は、
沖縄県庁の所在地那覇より80キロメートル北に位置する。上原清利美は、ここで生まれました。

上原清利美は、上原清七の五男として生まれ、19歳のとき、次兄清正の呼寄せでアルゼンチンに移住した。


1923年6月-大正12年-本部町渡久地健堅に登る小径にて。
向かって)左:上原清利美(清富)12歳。渡久地尋常高等小学校6年生。 中央:比嘉正徳先生、主席訓導。他の先生方のお名前は不詳。

1924年8月-大正13年8月-那覇

 沖縄県立第二中学校在学中。しゃがんでいるのは上原清利美、
1年生。椅子に座る。

 左 :与那嶺肇、2年生。

 右 :仲与根孝四郎、沖縄県立工業学校2年生。

 後列:上間仙俊、2年生。



1927年8月-昭和2年8月-夏休みに伊江島、本部半島、名護を周遊。

 前列左:仲里善雄、沖縄県師範学校。
 前列右:上原清利美、沖縄県立第二中学校2年生、16歳
 後列 :仲宗根勇助、沖縄県立第一中学校。


1928年-昭和3年-県立第二中学校5年生。
 前列:上原清利美、17歳
 後列:新垣増郎(中頭郡読谷村字宇座出身)。

1928年-昭和3年-名護
 椅子席:幸地長春(本部町字健堅出身)、名護郵便局勤務。
 立  :上原清利美、17歳。

1929年-昭和4年-那覇
椅子席:仲尾次清正、20歳(今泊出身)。
兵役を済ませ、後、憲兵学校
に入学。憲兵大尉まで昇級。その後、飛行機事故にて台湾で死亡。
後列 :上原清利美、はじめての背広姿にて。18歳。

1930年-昭和5年-那覇
後:饒平名智孝、那覇市立商業学校5年生。
上原清利美、19歳。

上原清利美の両親の写真は、一家のアルバムから取り外されていた。
なぜなら9人兄弟の内、唯一沖縄に残った姉に頼まれ、譲ってやった。
彼女が持っていた全写真は、 家とともに戦争で焼けてしまった為に。.

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