花卉栽培

花卉園芸業は、1919年に始まった長い歴史を持っている。カーネーションから始まった。
花卉園芸業は、サン・ミゲル、フロレンシオ・バレラ、エスコバール(伝統的、国の花祭りが行われる所)等に発展していった。
報道活動は、初期より重大なものであった。1915年に初めての報道機関ブエノスアイレス週報が発刊された。
上原清利美は、コルドバで共営していたカフェ店リッチモンドを1950年に他人に手放し、ブエノスアイレスへ出る決意をし、
そこでカーネーション栽培に従事した。他の多くの家族はカフェ店を閉め、クリーニング店を経営しだした。
この仕事は家族内で出来る仕事であった為と、当年以前にクリーニング屋を始めていた家族はこれで成功していた為である。


1954年、ホセ・セ・パスのバリオ オンブー。
ブエノスアイレス州。上原清利美一家は、
ブエノスアイレス州に定住。清富のカーネーションの温室にて。
花壇の間に立っている人は、義兄の与那嶺肇、座っているのは、
上原清利美(43歳)。後列で働いているのは、
上原清利美の長男、アルベルト清徹。

1954年、ホセ・セ・パスのバリオ オンブー。
ブエノスアイレス州。上原清利美(43歳)の温室。

1954年、ホセ・セ・パスのバリオ 
オンブー。
ブエノスアイレス州。この地区には、
上原清利美(43歳)の温室の他に、
日系の三家族、渡辺家(島根県出身)、
芦屋家(兵庫県出身)、沢井家(東京都出
身)のカーネーションの温室もあった。