家 族

多くの独身青年たちは家庭を築くために日本から花嫁を呼び寄せた。より良き同化を諮るため産まれた子供に洗礼を受けさせた。

上原清利美も沖縄にいた将来の花嫁にプロポーズし、彼女の承諾の元、亜国でめでたくゴールインした。


1935年コルドバ市サルミエント公園にて。
1933年在亜日本人5000人以上が確認された。
その大多数は独身男性20歳~30歳であった。
これら青年はその自由な時代、休日はいっしょ
に集い、サルミエント公園などで散歩などを
共に愉しんだ。後列:右から儀保喜二氏(名護出身)、
玉城孝源氏、上原清利美(24歳)前列:仲宗根実(本部出身)、
安里亀永氏(中城出身)、上原清全(清利美の兄)、
嘉手納秀次氏(今帰仁出身)

1935年コルドバ市サルミエント公園にて
上原清利美(24歳右端)、仲宗根実(本部浦崎出身)、
上原清全(清利美の兄)、安里亀永氏(中城出身)、
玉城孝源氏(本部浦崎出身)、
嘉手納秀次氏(今帰仁出身)達と一緒に記念撮影。

 


1936年コルドバ市にて。上原清利美(右25歳)、
サンマルティン公園を平良仁氏(浜本出身)と散歩.

1936年コルドバ市上原ロサとテレサの双子の姉妹(清利美
の姪達)後列左から、上原清全(清利美の兄)、
上間豊雄(清利美の従弟)、古波蔵森助(今帰仁)

1935年コルドバ市にてここにいるほとんどの青年は独身
であり、既婚者はただ一人、上原清正(中列左二人目清
利美の兄)で来亜した時は既に結婚していた。
後列左より上原清利美(24歳)、古波蔵森助氏(今帰仁出身)、
上間豊雄氏(今帰仁出身)、古波蔵森次郎氏(今帰仁出身)。
中央:上原清全(清利美の兄)、上原清正(清利美の兄)、
上原カマダ(今帰仁)、嘉手納秀次(今帰仁)、子供達、
左より上原エミリア(清正の末娘)、上原ロサとテレサ
の双子姉妹エミリアの娘達、上原フリオ(清正の次男)

1935年コルドバ市にて左から比嘉実氏
(今帰仁)、上間豊雄氏(今帰仁、
清利美の従弟)、上原清利美(24歳)の三勇士

 

 

 

 

 

 


1936年コルドバ市上原清利美(25歳)
の姪テレサと甥のフリオ。二人共兄清正の子供達。

1937年(昭和12年)3月、
ブエノスアイレス州の久場シネイ氏の農場にて。
第三回、今帰仁村人会のピクニック。
上原清利美(26歳) の末の弟(清武)と
金城ソコウと与那嶺源次郎の三人、
日本より来亜。その日を同じくしてブエノスアイレ 
ス州の今帰仁村人回のピクニックの日が一致し、
コルドバ州から弟を迎えに来ていた清利美も来
亜した三人と共に招かれ参加。


1938 年左より、与那嶺忠臣 ( 清利美の従弟 ) 、
上原清利美 (26 歳 ) 、兼城庄康
( 清利美の従弟 ) この二人は、
上原清利美の呼寄せで亜国に移住した。


1937年、Nakiin、Okinawa、Japan。
兄弟である将来の夫の母親と姉妹の未来の妻と別れる。


1938年(昭和15年)11月6日、
ブエノスアイレス港にて。
アルゼンチン丸より下船した内間千代子(清全の妻)、
与那嶺孝 (清利美の妻)、
上間仙俊(共に今帰仁村出身)を迎えて、
親戚友人とともに。この商旅客船ブエノスアイレス丸は、
これが最後の商旅客船となり、その後、
戦争勃発により、戦艦として使用された。

1925年今帰仁にて。写真中央は与那嶺孝の母親。
その左側は祖父。中央後列は姉のハナ、
その右側は妹タケ。与那嶺孝の父親は小学校の校長を
していたが、孝が1歳の時、父親は33歳の若さでなくなった。

1933年今帰仁 与那嶺孝、18歳の時友人と

1936年今帰仁
与那嶺孝19歳の時(右側)、
妹タケ(中央)と彼女達と未来の
義姉妹となった古波蔵ミヨ


1933年今帰仁
与那嶺孝、18歳の時

 

 

 

 

 

 

 

 



1938年 名護市にて。上 原 孝 
沖縄県今帰仁村字与那嶺兼次尋常小学校を卒業する。
以後養蚕業を営む。家で絹糸を作り、
それでハタ織りして自分の着物、羽織、
帯を織り喜んで着ていた。また絹糸で無地の布をつく
ってその布を京染めにして人に売ったりもした。
後に18歳で大阪へ行き、1年半働き、帰ってから那覇の
愛生病院の産婆養成所に入学、後、
産婆試験に合格し産婆学の免許を取る。
産婆の仕事を一年程した後、清利美からのプロポーズを受け、
アルゼンチンに渡り、結婚した。

1923年 日本、沖縄、今帰仁今帰仁兼次尋常
高等小学校の先生と生徒達。前列左から二人目、
与那嶺孝(15歳)

与那嶺孝、19歳の時(前列左側)
大阪へ働きに出た時、会社の同僚と。


1925年沖縄今帰仁与那嶺孝の二
人の兄と従兄左より、嘉手納秀次、
与那嶺肇、与那嶺鉄

 

 

 

 

 

 


1938年11月6日、
日本から船でアルゼンチンに到着した花嫁
上原千代子さん、花嫁上原孝さんを迎えた花婿上原清全、
花婿上原清利美、同船で来亜した上間仙俊氏を迎えて。
縁故者と同郷の友人達・前列(椅子に座る方々)左より:上
間仙俊、仲里静子、立てる少女、仲宗根春子(孝の姉)、
抱かれているのは恵蔵さん花嫁上原孝子、後に座っているのは、
花婿の上原清利美、上原千代子、後に立っているのは、
花婿の上原清全、玉城治子、諸喜田花子、
仲宗根金松後列左より:内間正雄、玉城源吉、
西島栄一、仲宗根孝英、諸喜田福生、
仲宗根松太郎、と子息アルベルト、
哲也、諸喜田福次、与那嶺源次郎、玉城源五郎、
玉城源正、不詳、西島正三郎、内間貞助の諸氏
(アベジャネーダ市のカフェにて)[写真 寺川]

1938年 新婚の上原清利美(27歳)、
上原孝(23歳)

1938年。日本の沖縄の名護で。
上原千代子(23歳、右)と豊中アミン(23歳、左)は、
それぞれ上原兄弟から婚前提案を受けた:清泉と清末巳
彼らは、書類作成を行い、結婚式のためにトゥルーソ
ーを準備することに同意し、一緒に彼らは感謝するよ
うにショッピングを行った。
どちらも日本の沖縄の中京沖からのものです

1939年コルドバ市結婚したばかり、
日本から着いたばかりの二人(左:上原孝、右:上原千代)
は比嘉とし子さん(中央)に連れられてコルドバ市にある
サンマルティン公園を散歩。

1939年コルドバ市サンティアゴデルエステ
ーロ州へ続く途中にある上原清利美の農園にて。
左から上原孝、上原千代、嘉手納ハナ、秀次夫妻


1939年 コルドバ市ツクマン街242番にて、上間正雄氏帰国送別会。上原家一同と同郷人。
この家には、数家族が同居していた。上原兄弟の家族たち及び伏見秀次家族等々。
又この家は、コルドバ日本語学校としても使用されていた。後列右端:森田日本語教師


1950年(昭和25年)コルドバ市にて。
上原兄弟の妹一人と上の妹の娘二人。
日本からの訪問を受ける。妹きくは、すでにブエノスア
イレスに在住していた。その後、皆、ブエノスアイレス州に定住。


1953年(昭和28年)ブエノスアイレス州エセイサ市にて。
年一回開かれる在亜今帰仁村人会のピクニック。
この年で18回目を迎える。このように亜国に住む日系人は、
各県、市、村ごとに家族が集まり、いろいろな会や行事を行う。

 

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