ストラ、カフェ店

1914-1940年に亘って、ブエノスアイレス市内と地方都市に約40軒のカフェ店やバーが開店された。
主なるものは、プエイレドン街975番のカフェ長崎、25 デ・マージョ街427番のザ・ジャパン バー ( 大城英蒲氏 共営 ) 、アベニーダ・サン・フアンとボエドの『カフェ-ニッポン』 ( 安里真喜、安里永善、安里長秀達と共営 ) 現・エスキナ・オメロ・マンシ。リバダビアとロッハ街の角ラ・プリメーラ・フンタにあったカフェ- 東京 ( 比嘉善重 Dr.アントニオ比
嘉の 父親 ) などであった。1944年以降、日本人経営のカフェ店、バーが姿を消し始めた。

上原清利美は次兄清正のカフェ店で働き始め、仕事の術を身に付け、 21 歳のとき他の二人の兄と共営を始めた。いわゆる独立したのである。


テニスの試合を終えてコルドバにて 1932 年 宮里政行上原清利
美 ( 21 歳 ) カフェ横浜の前リベラ・インダルテ通り 23 番地


コルドバにて上原清利美 24 歳

1949年 コルドバ市。
撞球場「リッチモンド」の常連と晩餐会。
リッチモンドは、 大城吉義氏と上原兄弟 ( 清正、清全、清利美 ) の共営であった。

このコーヒショップは、とても大きくて奥に16台のビリヤード台が並び、
50人以上雇用人が働いていた。
店の中央の上には、オーケストラ用の舞台があり、
そこでタンゴや女性たちによるオーケストラの演奏や歌など
が開かれた。


1936年-昭和13年-カフェ「横浜」にて。
ビトロレラ ( DJ ) と 上原清利美 ( 経営者 ) 。
この店は、コルドバ市の中心、県庁の前に位置し、
多くの有名な政治家又、その他の多くの有名人たちが
出 入りし、その中には亜国を代表するタンゴ歌手カルロス 
ガルデ ル氏も一週間の間、毎朝、開店前に午前
7時から 朝食のコーヒーを飲みに来ていた。


1939年 上原清利美 のカフェ店「横浜」。ウェイター、与那嶺庄五郎、常連と

1 960年 ( 昭和35年 ) コルドバ市のカニャーダ川の近くにある上原清全のキ
オス コの前で。

左より:青木、小山三郎、店員二人、清全兄、
清利美 ( 49歳 ) 。



1940年-昭和15年-コルドバ州ミナ・クラベロで、
コンフィテリアラ・ハポネシータ「ラ・テラサ」を開店。上原清利美
(29歳)。 夏期シーズンは大盛況であった。
夜は楽団の演奏でダンス・パーティーを開いていた。
当地に初めて日本家族が定住。


1941年コルドバ州のミナクロベラにて上原清利美、バー・
ハポネシータとカフェ店テラサを開店。当店ではオーケスト
ラ用の舞台とダンス用の踊り場も設置され、
アイスクリームも自家製が用意されていた。 バーのテーブル向こう側で左より上原孝、
上原清利美(30歳)、長女上原エレーナ、中 野氏(熊本県出身).

1949年ブエノスアイレス市にて。 嘉手納秀次氏 ( 39歳 ) 、今帰仁村出身。リニエル市場の近くのレストランで顧客や就労中の同僚たちと。

上原清利美 ( 38歳 )

UP