多くの日本人農業移民たちはブエノスアイレスの周辺で疏菜園芸に従事した。最初に従事したところは、 ブルサコ地方であり、同業者の集団も結成した。 沖縄で農業に従事していた上原清利美の父の希望に応じるため、 カフェ店を経営しながら農園の経営にも努めた。
1936年-昭和13年-5月 メンドサ州レアル・デル・パドレ。
田村一恵氏ご一家と池田城氏夫人恒子さん、上原清利美。 田村一恵氏は、長野県諏訪郡出身。日本力行会員。 1916年、来亜。コルドバのウンキージョで養蜂。 1925年メンドーサ州レアル・デル・パドレに移転。 同地で果樹園芸に従事。
1937年、ブエノスアイレス州ビセンテ・カサ
ーレスの仲宗根松太郎氏の菜園にて彼の家族と親類。 左より:諸喜田薫(今帰仁村字兼次)、 仲宗根松太郎(与那嶺)、大城(崎山)、 仲宗根正松(与那嶺)、与那嶺福永(与那嶺)、 大城(崎山)、仲宗根金松(与那嶺) 小児 :仲宗根アルベルト、哲也、仲宗根正治春ホセ 座 :仲宗根静(与那嶺)、 仲宗根恵蔵、仲宗根春子(上原孝子の姉)、 仲宗根カマダ、大城マツ(子供たちのお名前は不詳)全員、 疏菜園芸業者。
1939年(昭和14年)、
サンティアゴ・デル・エステーロへの道(コルドバ市内)。 上原清利美所有の農場にて。 右より:内間正雄(サンタフェ在住)が訪問した際、 与那嶺忠臣(従業員)、上原清利美(28歳)。 当農場では、野菜、果樹、そして養豚業等も行われた。
1939年コルドバ州(サンティアゴ・
エステーロ市への経由地)この農園で 上原清利美(26歳)は野菜、 果物を栽培し種々の家畜も飼育し、 養豚もしていた。
1939年コルドバ州(サンティアゴ・エステ
ーロ市への経由地)この農園で上原 清利美(26歳)は野菜、果物を栽培し種々 の家畜も飼育し、養豚もしていた。内門正雄 (今帰仁)と与那嶺忠臣(今帰仁)、野菜に囲まれて
エステーロ市への経由地)栽培して いた果物の木の前にて与那嶺忠臣と友人